雨が好きだ。晴れ女だけれども。
特に今の時季の雨はよい。紫陽花が雨を直に受けるほどに艶やかに、華やかになる。紫陽花の葉も雨音を立ててみずみずしく、鮮やかさをいや増す。
雨が宿る、雨の巣に想えてくる顔立ち
映画「犬王」も、雨から始まる。
引用元
室町時代。世界最古のミュージカル、能楽がうまれた時代。食文化としては、醤油が生まれた時代。
味覚細胞は脳と腸にもあるという。味覚が変わることはアラート、護るものに対するセンシング機能が変わるということだ。
猿楽の一座に生まれた、犬王。実在の人物である。
その容姿はいわゆる異形。混沌としており、世間には受け容れ難いものとして扱われる。芸が磨かれるたび、歌舞くたび、それが熱狂と喝采で世に受容されるたび、混沌はひとつひとつ解かれ、鎮められてゆく。その様子は、いわゆる外れ値とされた存在が、社会性や名声を得る過程の比喩にも思えた。
泥の中でも咲く蓮のように超然とした、心揺さぶる美が形作られてゆく。
「美を尽くすな」という言葉がある。「貪るな」という意味だそうだ。
このトレイラーの躍動で、刮目することを決めた。
名も知らぬ遠き島より流れ寄る椰子の実ひとつ。その調べが耳から離れない。
名を取った者と、名を護った者と。
美を希求した彼らは、何を貪ったのか。
声なき声を聴くということ。念が寄り付くという業。昇華して放つ熱量。メディアとしての身体、声、舞。
大阪でもかつて、「残念様」が流行したという。多くの命と日常を散らした無念を想い、人々は物語を拾う。
第三者の発話によって、初めて伝わる「言い難きもの」が確実に、いつの世にも、ある。演者を介することで、距離感を保って交感できるのだ。
古代ギリシャの円形劇場は、医療施設の一部だったそうだ。心を護るために、人は演じるのだろう。
ちなみに、犬王役のアヴちゃん公式Twitterによると、ご自身は平家の出らしい。
まさに600年ぶりの邂逅。
引用元https://twitter.com/qb_avu/status/1534432268181458944?s=21
ところで犬王に関する記録は極めて、少ないらしい。
醜いとは、見えにくい、見難いが語源だという。見え難いとされるものほど、記述に耐えられない。深奥すぎて。
しかし、犬王の最期に「紫雲が立ち昇った」とは、書き残されているそうだ。そのように触れずにはいられぬほど、その素顔と生き様は凄まじきことだったと想う。
原作小説 平家物語 犬王の巻
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