満たされる感覚は主観であり、心のあり方でいかようにも感じられるものです。
私の場合、そのイメージはとてもシンプルです。
あと何回、心から笑えるひとときを数えられるだろう。
心から美味しく愉しいお食事が、あと何回できるだろう。
日に日に、『誰と』何をするかの大切さを思い知ります。
誰とご飯を食べるかを真剣に、優先的に選択できる日々を過ごせたら最高。仮に高価なご馳走でも、気遣いあるいは気苦労の絶えない相手と同席なら文字通り味気ないからです。
気のおけない、心柄のよい人とご飯をいただく時間。
それこそが至福だと思うのです。